話題のベストセラー、「女帝 小池百合子」。
学歴詐称疑惑の事情や、政治家としてのし上がったきた経緯、表と裏の顔などが主なテーマです。
彼女の政治家としての遍歴をたどることは、平成時代を振り返ることにもなります。
「女帝 小池百合子」を読んで、私が感じた3つの恐怖・その1 はこちら
平成の政治
過去を振り返ってみる
平成になってから、令和に至るまでの総理大臣は18人。
何人の名前を憶えていますか?
私は、半分以上忘れていました。
忘れていたというよりは、わからなくなっていた、と言うべきか。
名前を見れば知っているし、顔やその時代の空気も思い出すけれど…
何が何だか、当時もわからないことが多かったし、わからないうちに時代は移り変わっていきました。
小池百合子さんが政界入りしたのは、1992年、平成4年のこと。
彼女がいかにして政界を渡り歩いてきたかを追えば、平成の歴史の復習をすることになるわけです。
この本では、時系列で実にわかりやすくまとめられています。
おぼろげだった記憶がよみがえり、「そういうことだったのか」と、今さらながらよくわかりました。
ざっくりとでも、全体の流れがつかめたことは、思わぬ収穫でした。
政治に興味を失くしていった時代
私は平成元年に成人し、それなりにテレビや新聞に目を通し、選挙権は行使してきました。
特に政治に関心があったわけではないけれど、確かに、政治に注目してわずかな期待を寄せた時期もあったのです。
それが、いつごろからあきらめていったのか…。
政権政党が目まぐるしく変わり、不毛なゲームに興じているようにしか見えない政治の世界。
「これじゃあ、誰が総理大臣になっても一緒じゃん」とテレビを見ながら言った私に、日頃「投票は国民の義務だ」と言っていた父が、「ほんとにそうだな」と悲しげにつぶやいたのが忘れられません。
徐々に政治に興味を失い、「政治は一部の人たちが好き勝手やっているもの」という認識になっていったのが、自分にとっての平成時代だったのか。
「テレビが政治をつくる時代になった。マスコミが本質を伝えず、表面的な面白さだけを追求する。政治家に政策を語らせない。」
第五章 「大臣の椅子」より引用
2005年の衆議院議員総選挙で、「刺客候補」の小池百合子さんに敗れた、小林興起氏の言葉です。
そんな報道に合わせて、政治そのものもレベルが低くなっていったということなのか?
表面的な面白さですら、大多数の一般庶民から見ればつまらなかったのではないかな。
そのくだらなさ、底の浅さがわからないほど、“普通の人々”は愚かではない(と思いたい)。
毎日更新チャレンジ中。↓クリックで応援してくださるとうれしいです!
政治への恐怖
あっと言う間に崩れた日常
現総理大臣が歴代最長の在任になったからと言って、安定して期待できる状況になったとは、とても思えない。
政治に不信感や不満を募らせながらも、政治に関心は持てない日々が続いていた中。
突然の学校の休校措置に始まり、“自粛”要請、緊急事態宣言の発令。
猛スピードで、日常生活が変わってしまいました。
現代のシステムが、いかにもろくて弱いものか、思い知らされたものです。
地震や台風のように、被害が目に見える災害ではなくても、世界は簡単に崩壊しかねない。
目に見えないからこそ、脅威なのでしょう。
厄災に対する恐怖でパニックになってしまう人間の心。
それを政治や私権のために利用する人間の心もまた、目に見えません。
それだけでもぞっとしていたのに。
「女帝 小池百合子」を読んで、ますます怖くなってしまった。
こんな人たちが、国の命運を握ってきた
ただでさえ脆弱な社会の基盤を支える政治の中枢が、こんなレベルなの?
無策でデタラメだらけの政府には、すでにうんざりしていたけれど。
マスコミや、とりまく人々もさることながら。
歴代の首相クラスの政治家が…
そんなに簡単に、1人の女性にだまされ出し抜かれ、振り回されてしまうものなの?
これが小説や映画などの創作物なら、嘘っぽくて、安直なシナリオに感じてしまう。
「そんなにヒロインに都合よく進むわけないじゃん」…と呆れたことでしょう。
それなのに。
これはフィクションではない。ノンフィクションだ。
***